1922年に兵庫県丹波市で生まれた細見華岳は、織りの技術において多大な功績を残されました。細見華岳は京都西陣の帯の織元、京都幡多野錦綉堂に入所し、綴織の技術を習得されました。戦時中は満州へ徴兵され、創作を断念せざるを得ませんでした。さらには敗戦後、シベリアに抑留されるなど、言葉にならないほどの苦労を経験されました。 しかし、1948年に帰国され、染織の仕事を再開されました。細見華岳は多彩な色糸を用いて花文や流水を織り、各種工芸展で活躍されました。その真摯な姿勢とお人柄は、人間国宝である喜多川平朗氏や森口華弘氏にも認められ、日本伝統工芸会に出品されました。 彼は色数を抑えた奥深く上品な佇まいの作品を創作し続け、1963年から各賞を受賞されました。1997年には綴れ織の分野で唯一の重要無形文化財である『綴帯』の保持者として認定されました。そして、2012年1月には偉大な功績を残されながら永眠されました(享年89歳)。 綴れ織の織り手さんは、常に指の爪先にヤスリをあて、その爪を文字通り「ノコギリの歯のように」刻まれています。そして、ノコギリの歯のように刻んだその爪で緯糸を一本一本掻き寄せ、織り込んでいき、筋立て(すいたて)という櫛で織り固めるのです。機械が自動的に糸を引き上げてくれるのではなく、一色ずつ、下絵を見ながら手作業で織り込んでいく作業になります。 細見華岳の作品は一見するとシンプルなデザインですが、その中にはいくつものこだわりと類まれなる技術が集約されています。
画像の着物・帯は弊社で過去に買取したものです。
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