唐桟織は、江戸時代後期の「天保の改革」によって大いに栄えました。この技術は、安土桃山時代にオランダやポルトガルから伝わった舶来品を指す「唐」という言葉と組み合わさって命名されました。現在、唐桟織は館山の代表的な織物として知られていますが、その伝来は明治初期にさかのぼります。明治維新により多くの武士が失業した際、東京授産所で唐桟織の技術を学んだ齊藤茂助が館山に移住し、唐桟織の工房を開設しました。この技術は後に民芸運動の父とされる柳宗悦によって絶賛され、全国的に広まりました。その後、唐桟織は昭和47年に文化庁の無形文化財に指定され、昭和59年には千葉県の伝統的工芸品にも指定されました。齋藤光司さんは、茂助の孫であり、柳宗悦の甥である柳悦孝の内弟子として11年間修行し、父である豊吉から唐桟織の技術を学びました。現在、唐桟織の伝統を受け継ぐのは光司さんの息子である齊藤裕司さんだけです。裕司さんは門外不出の技術を広く公開し、唐桟織の魅力を世に広め続けています。
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